星屑詩情

生きろ 生きろ 生きろ

 

 

何事も時間があるうちにやってしまえばいいのに、それが出来ない。

いつもぎりぎりになって思い出して、焦ってひとり、死にたくなる。

 

教育実習前は早く寝る習慣をつけなさいと言われていたのに、今日も夜更かしをしてこうしてブログを書いてしまっている。

教育実習の3週間にめちゃくちゃ不安を感じているくせに、今日は一日何もせずテレビを見、スマホをいじり日が落ちてしまった。

夜はマイナス思考になる、なんて自明なことでこんな時間に起きていたら余計に不安になるのはわかっているのに、やめられない。

 

明日提出の課題をやっていない。先週配られたはずの課題の紙すら見当たらない。

教育実習に行きたくないどころか、大学にも行きたくない。

 

こんなダメな人生、じわじわと迫るだけ迫る生産性のない人生、こんな意味のない物さっさと終わってしまえばいいのに。

 

 

 

 

自己肯定感が爆下がりしてる。

私には常識力が決定的に足りていないらしい。

 

唯一面接にこぎつけた会社からお祈りを受けた。教育実習先に提出する書類に修正テープを使ってしまった。学校に訪問する際、スリッパを履かずに職員室を訪ねてしまった。チケットの発券に必要な払い込み控えをどこかにやってしまった。

「そんなこともわからないの?」という目で今日もまた見られた。痛い。

 

遅刻をよくする、だとかなくしものが多いだとか。そういうADHDの不注意に典型的に当てはまるような資質を持ち合わせてるのは自覚があった。だけど常識力がここまで足らないとは思わなかった。

自分は気が使える方だと思ってた。だけどこれも周りの目を気にしすぎただけ、気が使える人間だったわけではなかったのかもしれない。

他人を信頼しないぶん他人からも信用されてない。っていう先輩からの言葉は、今日までずっと心臓に突き刺さってて。他人からの信頼を失いたくないけど、こうやって無意識のうちに信頼を失っているんだな、って今日実感した。

 

教育実習が控えてる。就活が進んでない。好きなアイドルをいくら応援したって、彼らの成果は私への見返りにはならないのに、今日もまた自分を見捨てて他人を応援してる。

何もできなくて、何にも期待できなくてつらい。何でもこなせると自分を過信して生きてきてしまったのが痛い。誰からも信頼を得てない自分が悲しい。

何度反省したって寝て起きたら、また遅刻や忘れ物をかましてる。懲りない。

これだから私はさっさと私の人生をやめたい。自分が自分を愛さないとどうしようもないこと知ってるのにな。

 

痛い。

 

 

 

 

 

3月

 

 

2か月ある春休みの半分、そんな3月だった。就活がはじまった3月だった。

何かに認められたかったし、何かを頑張りたかった。結局何かは見つからないまま春休みは、3月は終わろうとしてる。

 

就活をしなきゃ、と思って就活をした。マイナビに登録して、エントリーして、何社かの説明会を聞いた。

私には仕事としてやりたいことが特にない。病院はこわいから嫌だなとか相手にする対象はどちらかといえば子どもがいいなとかはあるけど、それが何の仕事に結びつくのかよく分からなかった。

とりあえず教育かな、と思って教育関係の企業のサイトをのぞいた。『わが社が考える教育とは「正しくて強い子を育てること」です!』だとか、『世界で活躍できるトップ人材を育てます!』だとか、社会は意欲と意欲の押し付けに溢れているように見えた。

私は前々から自分の対人関係能力やあらゆることへの取り組みを客観視して、ADHDや受け身の自閉症的な気質を持ってるな〜と自覚していた。自分の特性にそうした"発達障害"の名がついたとしてもそれらの行動が社会から寛容に許されるわけではない。許されるわけではないけど、"正解"である生活を持ち合わせてる人にもっと正しく生きろ!と強く言われることは、どうしようもない気持ちの中でかなり重圧ではあった。

自分のバックグラウンド含めまぁまあ色んなことがある中で、やっぱり一定数はしんどいな〜とこうやって生きてる人は多いんだろうな〜と思ってて。私自身が大義で私を甘やかすという意味でしんどいを感じることを許して、"私らしく"を押し出して数か月を過ごしていたからこそそういう社会の意欲の押し付けみたいなものが多くを占める企業への就活って難しいなぁ〜と感じる数週間だった。

 

 

3月半ば、ママンの勧めでストレングスファインダーテストを受けた。私はツイッターでだらだら自分語りをするのが大好きで、自分の過去のツイートを見返して喜ぶ人間だから割と自分自身のことを理解してる自覚があった。だからここに出た5つの特性も、あ〜知ってた知ってたと大いに思った。

『共感性』『収集心』『内省』『調和性』『原点思考』

面白いくらいに人間関係構築力と戦略的思考力に偏ってて、実行力と影響力に欠ける結果になった。就活をしなければいけない立場の身として、この結果が何か適職を示してくれたらな〜と思ったけどこれは適職を示すテストではないらしい。私自身がこれらの特性について何か自分に思い当たること、と言ったら完全にツイッターしかないので困った。

『収集心』これはものに限らず知識とか情報も含むらしいけど、めちゃくちゃに自覚がある。ツイッターと言ったら情報収集、流れてくるものから情報をキャッチすることが多いと思う。私も基本的にはそうだけど、まぁ知りたいことが多いからツイートに気になるリンクが貼ってあったらとりあえずサファリに開いておく。その数がエグくて全然読みきれてないので勿体無い。読みたい。

『内省』本を読んでも映画を見てもテレビを見てもツイートのリンクを読んでも、とりあえず感想や考えたことはツイッターに残す。フォロワーとか特定の相手に見せる、というより私自身の記録を残すという意味であらゆることを書いてる。ツイッターは私の脳みそ?の延長線上であり、思考過程・思考記録になっている。とにかく1人で考えてるのでツイート数が迷惑なほどに膨大。

『原点思考』1つの考えに戻ってくる、ツイログを振り返るのが好きだからこれもツイッターかよ!とキレそうになる。書いてアウトプットすることで、こんな考え方どっかでもした気がするなって結びつくし、ツイートしたことで過去の思考が残るから前に考えたことに立ち帰れる。

私がツイッターランドに6年近く溺れてるのは間違いなく持ち合わせた特性を最大限に生かすツールだからなんだなと、なるべくしてツイッター愛好家になっていることを証明するストレングスファインダーになってしまった。このツイッターを用いて自分や社会を楽しむ力が、何か仕事に結びつけば良いのになぁ〜とかなぁ。

 

 

で、3月最終週の土日。周りの同級生の友達が就活の一次選考を通った通ってないという話で戦ってる中、いつもの仲間と旅行に出かけた。ここに参加してる人たちはどこかしら世間比の中でマイノリティで、マイノリティが集まることで自分がマイノリティじゃない場を得られてるからみんな依存というかいつかんだろうなと感じてる。

夜、いつものくだらなくて重い話をするために、このために旅行に来た。、から色々話をしていた。「子どもに"なんのために勉強するの?"と問われたらなんと言って返すか」というのがテーマの出発だった。「将来自分が着きたい職に着くためだよ」とか「やりたい仕事をするためだよ」とか未来のためって意見が多かったように思った。

私自身がもし答えるとしたら「目の前にあるものを少しでも楽しむため」かなぁ。もともと社会科の教員になりたかった。それは"社会科が持つ幅の中で子どもの興味に結びつけて、自然な形で何かを知る力を与えられたらな〜"と思っていたからな訳だけど、勉強=受験勉強で勉強が辛いものとか嫌なもので終わるのがもったいないな〜と思うからが大きい。

私は就活するにあたって社会で広く言われる『大手企業に勤める=将来・老後のため』がよく分からなくて、かなり初歩でつまずいた。"今日"生きるのもしんどいのに、なんで数十年後を見据えて"今"頑張れるんだろうか、率直な気持ちだった。そんな中で子供に与える『勉強する意味=将来の自分の自己実現のため』って、成功した大人の押し付けだよな〜と就活につまずいたダメ大学生の私は思った。

「なんで生き続けなきゃいけないんでしょうねぇ」いつもの引き金を引いてしまった。私が年末にふったこの題について、この数か月話したくてウズウズしていたらしい東大通いの友人がまぁ〜色々と話してくれた。その人の弟は引きこもりで、自分の弟とあなたは似てる、と。医者を目指してるだけあって専門用語モリモリで、まぁでも弱いことを受け入れて寄り添おうとして話してくれたとは思う。

そんな中でめちゃくちゃぶん殴られたのはある先輩からの言葉だった。以前私はその人との間に合わせに姿を現さない、ということを一度してしまっていた。それ自体はもちろん私が一概に悪いし、私が責められて当然だと受け入れる。が、その人は私がそういう行動をしたことに「あなたは人を信頼しない代わりに、自分も信頼を失っている」という石を投げてきた。

私は自己肯定感が低い、自覚はある。家族はもちろん、友人(と断言できる人はいないけど)のこともそんなに信頼、というか全幅は預けていない。自分の身を守れるのは自分だけだし、自分を1番に理解しているのは自分だし、全部自分でやるのが1番早いし簡単だと思って生きてきた。承認欲求はかなり高いと思うけど、そもそも承認される経験がほぼないから他から承認されるより先に、自分が自分を承認しようと自分の承認だけ求めて生きてきた。

この投げられた"信頼"という石は重いし痛い。何人もが聞いている中で私が約束をすっぽかしたことを言及されたのも痛かったけど(私が悪いんだけど)、この"信頼"についての石はよく分からない重みと形で痛かった。

そして引きこもりの弟と比較して私にフォローを説いていた友人に向かってその先輩は持論を説いた。「私の家は引きこもりになったら追い出すと言われてきた。私の家は厳しかったけど、3兄弟誰も折れずに引きこもらずにここまで来た。母親がした教育を私は認めるし、私も子どもができたらそういう教育をする」と。強い、強かった。

"正しくて強い"ことはめちゃくちゃにこわい。それで成功して来たら余計に、その"正しくて強い"ことが正しさと強さに繋がるから、それが当たり前になる。その先輩はなんの疑いもなく「引きこもになるくらいなら追い出す」と言われる教育に誰でも従えると思っていたし、引きこもりが許される家庭はお金に余裕があって全てが甘え、というような言い方をした。

その先輩から投げられたあらゆる言葉が痛くて、なんだかずっと胃が痛い。私は私しか自分のことを承認しないから、私が許さないと誰も私を許してくれないから、私は私のために私を甘やかした。だけどこれも全部、その先輩にしたら馬鹿で無駄なことなんだろうなぁ。弱いことを許してくれる、間違っていることを寛容に受け入れてくれる人が周りに多かったから(その人たちのことも120%信頼はできてないんだけど)、そういうのは普通じゃないんだなぁと現実を浴びた。

自分以外に承認されるために信頼を買いに行くの、リスクだなぁ。これ以上傷つきたくないし、他人のことを無理だと思いたくないんだよなぁ、難しい。"信頼"って言葉について、他人に承認されること、について考えてしまう、痛い。

 

もうずっと、半年くらい鬱々してる。学生でいる間は立場が保証されていて、アクセルを踏まなくてもクリープ現象で時間を進むことができる。だけど一度大学を卒業してしまったら、その先は自分でハンドルを握ってそれを操って、アクセルを踏むことで進んでいかないといけないらしい。目的も目標もない私には、今このハンドルを握らなきゃいけない状況が、目的地を探さなきゃいけない状況がこわいというか無意味だ。

私は私の承認のためだけに生きてきたから、どこかで私自身からの承認を落としてきてしまったばっかりに"生きている"気力を見失っている。他人に信頼承認されることも大事だけど、まず第一に私が私自身の承認を取り戻さないとどうしようもないんだろうなぁ。

本当にダメダメな人間なんです。就活もしないし、実習も行きたくないし、周りの人間を信頼できないし、信頼を失うことばかりしてしまうし。ダメダメでダメダメでどうしようもないんだよなぁ。なんで生きているんだろうか。自分からの承認を取り戻したところで、自分のために生きられるのかなぁ。

もうすぐ就活が本開始してから1か月がたつ。クリープ現象で進める大学生活もラスト1年を迎えてしまう。ダメダメな私はダメダメなままでどう生きるんだろうか。なんのオチもないけどとりあえず生きる、やっぱりそれが第1関門なんだろうなぁ。とりあえず昼夜逆転したこの生活を脱する春休みを送りたい。

 

生きてるのってしんどいな、みんな今日も生きて活動しててえらい。終わり。

 

 

 

 

 

 

start

 

 

ここ半年、3月1日まではカウントダウンだった。

生きたくない、働きたくないのに『就活』という怪物はひしひしと私の背に迫っていた。周りの友人の様子を見ていて、私もその怪物に勝てるように武装をする必要があるのは気づいていた。だけど一貫して私は生き続けたくなかった。

 

パソコンの前で今日、3月1日を迎えた。大学3年生にあたる学年の半数は私と同じ状況だったんではないだろうか。就活サイトでの生配信を見ながらさながら年越しのような、何に対するドキドキか分からないような、心細い気持ちが押し寄せていた。カウントダウン。3・2・1・・・。

世界はそんなに大きく変わらなかった。拍子抜けした。 就活生になってしまった、ただそれだけだった。

 

私が就活生の鎧を被った数時間前、私のメンターは伝打伝助というもう一人の自分を自らの手であの世へ葬った。

 

彼は強い。不器用で何でも手伝ってあげたくなる行動をしながら、本人の中ではいつでも己と戦う熱い炎が燃えている。それを熱くする燃料は隣に並ぶメンバーであり、彼の愛する本や映画であり、彼自身であった。

何でも吸収し、素直にモノを受け止め、伝打伝助の存在を手に入れてからは何物にも捕らわれず自分自身を表現し続ける、それが戸塚さんだった。

 

戸塚さんは強く、戸塚さんは自由であった。私は戸塚さんのような人間になりたかった。

周囲にはとにかく優しく、自分にはストイックかつ甘く。誰もが背中を追いたくなるような人間、それが戸塚さん。

 

長い表現人生の一端しか私は目に出来ていない。だけど彼の好きと言っていたものが仕事になり、貰った仕事が好評価を貰う。常に新しいものを知り、自らの価値観を明確なものに塗り替えていく。その中で自己肯定感があまりにも低かった戸塚さんが、次第に自信を手に入れていっているのは一目瞭然だった。

 

伝打伝助という自分の殻を破るための鎧を身に着けている間に、戸塚さんは日々成長し自信を手に入れ、伝打伝助なしでも戸塚祥太を押し出せるようになった。戸塚祥太として生きていく覚悟が出来た戸塚さんは、満を持して昨日、伝打伝助を殺めた。

 

“華やかなステージの上 華やかじゃない位置についた”と自分自身を歌った戸塚さんを救いたかった。何らかの不調を感じ満足に横アリ1日目にソロ曲を歌いあげられなかった戸塚さんを励ましたかった。いつもいつも貰ってばかりだから、少しでも感謝を伝えられたらと声を出していた。

 

最高の友人である伝打伝助:ダーリン・ダーリンを殺めた戸塚さんは自分自身が脱皮するとともに、就活生になってしまった私に訴えかける。「お前は、そのままで良いのかよ」って。

 

戸塚さんに負けず劣らず自己肯定感が低い人間だから、まだまだ自分自身を自分ブランドとして売るのは痛いしこわい。だけど誰よりも信頼する人のそんな姿を見てしまったから、私も怪物と戦っていかないといけないんだと思う。

 

こんなのきれいごとでしかないし、意志が弱い人間の私はきっと明日には忘れてるけど、戸塚さんが戸塚さんをリスタートさせた日(正確に言うと2016年11月13日だけど)、私が自分をリスタートさせなきゃいけない日、こんな今日を踏まえてどうにかなっていきたい。諦めたらLoose 勝つまでは解かない FightingPose。

 

きっといつだって戸塚さんは戸塚さんとしてそこにいてくれるし、残り全部バケーション、生まれ変わった戸塚さんの大船に乗ったつもりで、今日ももう少し生きてみよう。寝る…!

 

 

 

 

2

 


文章を書きたいけど語彙力が足りない。自覚はあるけど動けない。自分に何ができるのか考えなくちゃいけないけど、わかってはいるけど動けない。


今、動く意味があるのか。動いたところでこの先が明るいのか。未来が明るくても、明るくなくても、どうしたって動くことができない。


エネルギーが有り余ってる人ばかり好きになる。人から愛される人を好きになる。どちらも自分は持たない要素で、自分にないものを持つ、その人のその才能を好きになる。


好きな人なのに"あ〜あの人はエネルギーに溢れていて"、"あ〜あの人は周りに愛されていて"羨ましいと思う。羨ましいとは思うけど、自分がそうなりたいかと言われると一概に答えはイエスではないし、だからこそ変わりたいとは思いつつも、動けない。


こんなのは全て言い訳で、動かなきゃいけないのもわかってる。わかってるけど、動けない。


『生き続ける』意味を知りたい、とずっと思ってる。意味なんてないのかもしれないけど、『生き続ける』なんてしんどいことを成し遂げるのに、意味がないなんてそんなのない。『生き続ける』意味がわからない限り、永遠にこの場から動けないのかもしれない。


なんで生きてるのかわからないのに、なんで生き続けなきゃいけないのかわからないのに、寝て起きれば毎日お腹が空く。動きたいけど、動きたくないのに、毎日決まってお腹は空く。


嫌だな〜困った。
お腹が空いたら動かなきゃいけないんだ。生き続ける意味がわからないのに、生き続けるために食べなきゃいけない。
自分の頭と、自分の身体の主張が真逆で混乱。どうしようもなさすぎて頭が痛い。


頭が痛いけど、お腹が空いた。エネルギー切れ、電池切れ。


もっとまともな言葉を喋れる時間に今度はこれを開けますように。

 

 

1

 


ちゃんと勉強してるの?それで試験で落ちても知らないからね?」今までの人生で何度も浴びせられた言葉。


高校に行かなきゃいけない、大学に行かなきゃいけない、新卒1年目で生涯働ける手に職つけなきゃいけない。いつだってその時の正解のために、その時の最善になるように、自分の身体がついていかないのを無視して親の言いなりになっていた。


「教師になりたい」と言ったのは確かに私だ。だけどそれは、今いる学科で取れる資格で最善のもの。安定した職業で、地元で、子供と関われるもの。"条件"を優先して、"気力"を絞って、親や自分を納得させるために、半ば強引に選んだ選択だった。


確かに教師になりたかった。だけどボランティアに行って気がついたしまった。私には決定的に気力が足りない。子どもと対峙した時に、子どもに嘘を見せたくない。だから、気力のない私は教師になれないと思った。


その前は児童福祉司になりたいと思っていた。これも今の学科で取れる資格で、地元で働けて、子どもと関われるから。だけど子どもについて知れば知るほど、自分のことを考えれば考えるほど、児相に引っかからないラインの子どもを救いたいと思った。だからスライドして、教師になりたいと思った。


親が離婚した、親が再婚した。転校した。半分血の繋がらない弟が生まれて、小さいお母さんがいて良いねとおだてられ、やりたくもない家事や世話をさせられた。養父に半ばDVを受けた。才能のない私の中学受験、才能のある妹の習い事。…。


そんなこと、そんなことかもしれない。だけど自分1人で背負うには重かった。ずっと誰かに話したかった。中学校、高校、担任になった教師に愚痴ってしまいたい時があった。だけどあと一歩、何かが止めて口を開くことができなかった。1人だった。寂しかった。自分がそうだったから、この先にそういう状況に立ちうる子どもを、1人でもフォローしたかった。


だけど自分の問題を何1つ解決してないのに、他人の子の問題も抱えるというのは無理だということに今更気づいてしまった。どうにかしたいと今更思った。


大学3年生、就活や教採を考えなければいけないのは百も承知だ。だけど今は、この状況にして『なんでいき続けなきゃいけないのか』を永遠に考えてしまって、足が止まっている。


なんで新卒1年目で手に職をつけないといけないのか。なんのために私は働くのか。働いてどうするのか。なんのために生き続けるのか。


しんどい、しんどいとしか思えない。
教採からの逃げでもなんでもなく、今の私が教師になるのは子どもにも保護者にも周りの教師にも私自身にも毒だ。教師は学生じゃない。1人で立てない、1人で歩けない者は望まれない。


全てが言い訳かもしれないが、今は何もかも置いて真っさらにしたい。
なんで生き続けなきゃいけないのか、私には何ができるのか。


ちゃんと勉強してるの?それで試験で落ちても知らないからね?」
私の声に耳を傾けない母親は、私がその試験をすでに受けない気でいることを知らない。


頑張って、母親の言いなりになったところで今後の私の人生の世話を母親がしてくれるわけじゃない。じゃあ、もう、今は、その声を無視してもいいんじゃないか。


真っさら、真っさら。ひたすらに白。今は何も考えず、焦らず、白白白になりたい。


子どもたちの味方になりたいこと、それは嘘じゃないから。白の先、自分の余裕を見つけた先で、何かその答えが見つけ出せると良いなぁ〜〜、な夜。眠る。

 

 

0

 

 

生きるのが上手じゃなくて、今は何をするのも特に楽しくなくて。


日本語を書くことは誰にでもできることだから、日本語を書くことは私にもできること。


何もしたくないけど、誰にでもできることだけど、書くことだけは、今自発的にやりたいなぁと思える1つのこと。


戸塚さんのことが好きなんだ。戸塚さんのことが好きで、戸塚さんの書く文章が好き。


自分と向き合って、苦労して生み出してくれる言葉の1つ1つが好き。


戸塚さん自身への独占欲はないつもりだけど、戸塚さんの生み出したものを解釈する戸塚担の思いはそれぞれで。自分の感じる戸塚さんと、周りの一人一人の戸塚担が感じる戸塚さんとの違いを感じるとしんどいから、戸塚担と接するのが今はちょっと苦手。


そんなことはどうでも良いんだけど。
戸塚さんがダ・ヴィンチで過去にやってた連載が書籍化されて、それに付随してまた連載が始まる2018年。戸塚さんが"書くこと"を頑張ると言っている2018年。


私も"書くこと"をちょっと頑張ってみようかなぁと思う。


自分にできることはちっぽけで、大学から出される課題が終われないし、自発的に行きたいと希望した予備校にすらちゃんと行けてない。ADHDやその他諸々のせいにしたらそれまでだけど、何か、何かしないとなぁとは思ってる。


到底書くことが就活やその先につながるとは思えないけど、自分に自信をつけるためでも、戸塚さんの気持ちをちょっと知るためでもなんでも良い。


"書くこと"を考える、そんなことを書く1年にしていきたいなぁと思ってます。