星屑詩情

生きろ 生きろ 生きろ

3月

 

 

2か月ある春休みの半分、そんな3月だった。就活がはじまった3月だった。

何かに認められたかったし、何かを頑張りたかった。結局何かは見つからないまま春休みは、3月は終わろうとしてる。

 

就活をしなきゃ、と思って就活をした。マイナビに登録して、エントリーして、何社かの説明会を聞いた。

私には仕事としてやりたいことが特にない。病院はこわいから嫌だなとか相手にする対象はどちらかといえば子どもがいいなとかはあるけど、それが何の仕事に結びつくのかよく分からなかった。

とりあえず教育かな、と思って教育関係の企業のサイトをのぞいた。『わが社が考える教育とは「正しくて強い子を育てること」です!』だとか、『世界で活躍できるトップ人材を育てます!』だとか、社会は意欲と意欲の押し付けに溢れているように見えた。

私は前々から自分の対人関係能力やあらゆることへの取り組みを客観視して、ADHDや受け身の自閉症的な気質を持ってるな〜と自覚していた。自分の特性にそうした"発達障害"の名がついたとしてもそれらの行動が社会から寛容に許されるわけではない。許されるわけではないけど、"正解"である生活を持ち合わせてる人にもっと正しく生きろ!と強く言われることは、どうしようもない気持ちの中でかなり重圧ではあった。

自分のバックグラウンド含めまぁまあ色んなことがある中で、やっぱり一定数はしんどいな〜とこうやって生きてる人は多いんだろうな〜と思ってて。私自身が大義で私を甘やかすという意味でしんどいを感じることを許して、"私らしく"を押し出して数か月を過ごしていたからこそそういう社会の意欲の押し付けみたいなものが多くを占める企業への就活って難しいなぁ〜と感じる数週間だった。

 

 

3月半ば、ママンの勧めでストレングスファインダーテストを受けた。私はツイッターでだらだら自分語りをするのが大好きで、自分の過去のツイートを見返して喜ぶ人間だから割と自分自身のことを理解してる自覚があった。だからここに出た5つの特性も、あ〜知ってた知ってたと大いに思った。

『共感性』『収集心』『内省』『調和性』『原点思考』

面白いくらいに人間関係構築力と戦略的思考力に偏ってて、実行力と影響力に欠ける結果になった。就活をしなければいけない立場の身として、この結果が何か適職を示してくれたらな〜と思ったけどこれは適職を示すテストではないらしい。私自身がこれらの特性について何か自分に思い当たること、と言ったら完全にツイッターしかないので困った。

『収集心』これはものに限らず知識とか情報も含むらしいけど、めちゃくちゃに自覚がある。ツイッターと言ったら情報収集、流れてくるものから情報をキャッチすることが多いと思う。私も基本的にはそうだけど、まぁ知りたいことが多いからツイートに気になるリンクが貼ってあったらとりあえずサファリに開いておく。その数がエグくて全然読みきれてないので勿体無い。読みたい。

『内省』本を読んでも映画を見てもテレビを見てもツイートのリンクを読んでも、とりあえず感想や考えたことはツイッターに残す。フォロワーとか特定の相手に見せる、というより私自身の記録を残すという意味であらゆることを書いてる。ツイッターは私の脳みそ?の延長線上であり、思考過程・思考記録になっている。とにかく1人で考えてるのでツイート数が迷惑なほどに膨大。

『原点思考』1つの考えに戻ってくる、ツイログを振り返るのが好きだからこれもツイッターかよ!とキレそうになる。書いてアウトプットすることで、こんな考え方どっかでもした気がするなって結びつくし、ツイートしたことで過去の思考が残るから前に考えたことに立ち帰れる。

私がツイッターランドに6年近く溺れてるのは間違いなく持ち合わせた特性を最大限に生かすツールだからなんだなと、なるべくしてツイッター愛好家になっていることを証明するストレングスファインダーになってしまった。このツイッターを用いて自分や社会を楽しむ力が、何か仕事に結びつけば良いのになぁ〜とかなぁ。

 

 

で、3月最終週の土日。周りの同級生の友達が就活の一次選考を通った通ってないという話で戦ってる中、いつもの仲間と旅行に出かけた。ここに参加してる人たちはどこかしら世間比の中でマイノリティで、マイノリティが集まることで自分がマイノリティじゃない場を得られてるからみんな依存というかいつかんだろうなと感じてる。

夜、いつものくだらなくて重い話をするために、このために旅行に来た。、から色々話をしていた。「子どもに"なんのために勉強するの?"と問われたらなんと言って返すか」というのがテーマの出発だった。「将来自分が着きたい職に着くためだよ」とか「やりたい仕事をするためだよ」とか未来のためって意見が多かったように思った。

私自身がもし答えるとしたら「目の前にあるものを少しでも楽しむため」かなぁ。もともと社会科の教員になりたかった。それは"社会科が持つ幅の中で子どもの興味に結びつけて、自然な形で何かを知る力を与えられたらな〜"と思っていたからな訳だけど、勉強=受験勉強で勉強が辛いものとか嫌なもので終わるのがもったいないな〜と思うからが大きい。

私は就活するにあたって社会で広く言われる『大手企業に勤める=将来・老後のため』がよく分からなくて、かなり初歩でつまずいた。"今日"生きるのもしんどいのに、なんで数十年後を見据えて"今"頑張れるんだろうか、率直な気持ちだった。そんな中で子供に与える『勉強する意味=将来の自分の自己実現のため』って、成功した大人の押し付けだよな〜と就活につまずいたダメ大学生の私は思った。

「なんで生き続けなきゃいけないんでしょうねぇ」いつもの引き金を引いてしまった。私が年末にふったこの題について、この数か月話したくてウズウズしていたらしい東大通いの友人がまぁ〜色々と話してくれた。その人の弟は引きこもりで、自分の弟とあなたは似てる、と。医者を目指してるだけあって専門用語モリモリで、まぁでも弱いことを受け入れて寄り添おうとして話してくれたとは思う。

そんな中でめちゃくちゃぶん殴られたのはある先輩からの言葉だった。以前私はその人との間に合わせに姿を現さない、ということを一度してしまっていた。それ自体はもちろん私が一概に悪いし、私が責められて当然だと受け入れる。が、その人は私がそういう行動をしたことに「あなたは人を信頼しない代わりに、自分も信頼を失っている」という石を投げてきた。

私は自己肯定感が低い、自覚はある。家族はもちろん、友人(と断言できる人はいないけど)のこともそんなに信頼、というか全幅は預けていない。自分の身を守れるのは自分だけだし、自分を1番に理解しているのは自分だし、全部自分でやるのが1番早いし簡単だと思って生きてきた。承認欲求はかなり高いと思うけど、そもそも承認される経験がほぼないから他から承認されるより先に、自分が自分を承認しようと自分の承認だけ求めて生きてきた。

この投げられた"信頼"という石は重いし痛い。何人もが聞いている中で私が約束をすっぽかしたことを言及されたのも痛かったけど(私が悪いんだけど)、この"信頼"についての石はよく分からない重みと形で痛かった。

そして引きこもりの弟と比較して私にフォローを説いていた友人に向かってその先輩は持論を説いた。「私の家は引きこもりになったら追い出すと言われてきた。私の家は厳しかったけど、3兄弟誰も折れずに引きこもらずにここまで来た。母親がした教育を私は認めるし、私も子どもができたらそういう教育をする」と。強い、強かった。

"正しくて強い"ことはめちゃくちゃにこわい。それで成功して来たら余計に、その"正しくて強い"ことが正しさと強さに繋がるから、それが当たり前になる。その先輩はなんの疑いもなく「引きこもになるくらいなら追い出す」と言われる教育に誰でも従えると思っていたし、引きこもりが許される家庭はお金に余裕があって全てが甘え、というような言い方をした。

その先輩から投げられたあらゆる言葉が痛くて、なんだかずっと胃が痛い。私は私しか自分のことを承認しないから、私が許さないと誰も私を許してくれないから、私は私のために私を甘やかした。だけどこれも全部、その先輩にしたら馬鹿で無駄なことなんだろうなぁ。弱いことを許してくれる、間違っていることを寛容に受け入れてくれる人が周りに多かったから(その人たちのことも120%信頼はできてないんだけど)、そういうのは普通じゃないんだなぁと現実を浴びた。

自分以外に承認されるために信頼を買いに行くの、リスクだなぁ。これ以上傷つきたくないし、他人のことを無理だと思いたくないんだよなぁ、難しい。"信頼"って言葉について、他人に承認されること、について考えてしまう、痛い。

 

もうずっと、半年くらい鬱々してる。学生でいる間は立場が保証されていて、アクセルを踏まなくてもクリープ現象で時間を進むことができる。だけど一度大学を卒業してしまったら、その先は自分でハンドルを握ってそれを操って、アクセルを踏むことで進んでいかないといけないらしい。目的も目標もない私には、今このハンドルを握らなきゃいけない状況が、目的地を探さなきゃいけない状況がこわいというか無意味だ。

私は私の承認のためだけに生きてきたから、どこかで私自身からの承認を落としてきてしまったばっかりに"生きている"気力を見失っている。他人に信頼承認されることも大事だけど、まず第一に私が私自身の承認を取り戻さないとどうしようもないんだろうなぁ。

本当にダメダメな人間なんです。就活もしないし、実習も行きたくないし、周りの人間を信頼できないし、信頼を失うことばかりしてしまうし。ダメダメでダメダメでどうしようもないんだよなぁ。なんで生きているんだろうか。自分からの承認を取り戻したところで、自分のために生きられるのかなぁ。

もうすぐ就活が本開始してから1か月がたつ。クリープ現象で進める大学生活もラスト1年を迎えてしまう。ダメダメな私はダメダメなままでどう生きるんだろうか。なんのオチもないけどとりあえず生きる、やっぱりそれが第1関門なんだろうなぁ。とりあえず昼夜逆転したこの生活を脱する春休みを送りたい。

 

生きてるのってしんどいな、みんな今日も生きて活動しててえらい。終わり。